株式会社日本カーゴエキスプレス
JAPAN CARGO EXPRESS CO., LTD.
本社:
〒105-0003
東京都港区西新橋1-20-9 TSRビル4階
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JCE社長のトピックス

2011年(平成23年)12月号
Running Style(ランニングスタイル)

ニ出版社 走ることを楽しんでいる人たちを応援するランニング雑誌
「十人十色」

鈴木隆志さんは、航空貨物を中心に様々な分野で輸送を手がける「日本カーゴエキスプレス」の代表取締役。週5日ほど朝6時に起きて、近所の公園をランニングする。 「5〜10Km走ったら家に帰り、シャワーを浴びて出かけます。子供と一緒に駅まで行ってバイバイして、出勤。定時は9時で、8時40分ぐらいにはデスクにいますね。月曜日など忙しくらる日だけは走らずに、朝7時ごろ出社しちゃいますが、毎日おおむねそんな感じです」
朝に"自分を回す"ことで、毎日のペースを作る。だから走れなかった日には、体のキレが悪く感じる。そして走りながら考えるのは、たいてい仕事のこと。
「ランニングをしていると『あの件はこういう風にまとめよう』とか、アイデアが浮かぶんです。そうすると、会社に行った瞬間に指示を出したり、仕事に取り掛かることができるんですよね。アタマの中にテーマがあると、楽に走れる。テーマがない時は『宝くじが当たったらどう使おう』とか、くだらないことを考えます。
仕事で嫌なことがあったときは、特にスイスイ走れますね。走ることは健康に良いから、経営者仲間にはランナーがたくさんいます。じつは僕が誘って、10人くらい走らせたんですよ。彼らから『すうさん最近走ってる?』なんて聞かれることが、しげきになるんです」
学生時代は文科系クラブに所属。特にこれといって運動経験はなかった鈴木さんが走り始めたきっかけは、第1回東京マラソンにエントリーしたこと。
「じつは15年前に脳梗塞をやっちゃって、左腕と左足にしびれが残ってしまったんです。医者からは運動を禁止されていたんですが、体を動かさないと太っちゃう。だから7〜8年前からジムに通い始めました。するとそのうちに、もっとしっかり運動したい、と思うようになった。多少しびれがあっても、両足を前に出すのは難しくない。だからランニングは良いんじゃないかと思ったんです」
いきなりのフルマラソン挑戦。最初は誰も信じてくれなかった。心配させたくないので家族にも内緒で、2月の本番に向けて10月終わりから練習を始めた。ジムのトレッドミルで少しずつ走り、7〜8Km走れるようになった時、周囲にカミングアウト。家族にも許しを得た。
「15Km走れれば何とかなる。そう思って練習していたのですが、やっと走れるようになったのはレース直前の2月初旬。それで挑んだ本番は悲惨でしたね。雨の中、半べそかきながら走って、タイムはひどいものでした。初回のマラソンってテンション上がるから、自分の限界を超えて走っちゃうものなんですね。ゴールした後は、足が一歩も動かなかったです。でも、二度と走りたくないとは思わなかった。東京マラソンから1週間ほどたって、テレビで駅伝を見たら『こんな良い天気の中を、また走りたい』という気持ちになったんです」
その後も月100Kmぐらいの無理のないペースでランニングを続けると、さまざまな変化が。体は徐々に締まり、風邪を引くことがなくなって肩こりも減った。
大好きで毎日飲んでいるお酒も、翌朝のランニングを考え、少しだけ控えるように。そして年に数回、レースにエントリー。キツかったフルマラソンだが、今は自分なりのペースで楽しんでいる。
「続けていくコツは、ズバリ大会に出ることですね。レースがないと、今日は走らなくていいか、ってなっちゃう。僕は大会に申し込まないと、エンジンがかからないんですよ。でもね、レースは本当に楽しい。この年にして、子供の頃の運動会の前日のようなワクワク感を味わうことができる。それってなかなかないですからね。やればやるほど、たのしくなってくるんですよ」

2009年(平成21年)6月10日
日本経済新聞(全国版夕刊)

家業の世襲 「自分流」模索する子世代 (抜粋)

国会議員の世襲制限を巡る論議がにぎやかだが、目を転じて、中小企業の世襲問題を考えてみよう。親をライバル視するなど葛藤を経ながらも「自分流」の発見が成否のカギを握るという。経営問題に限らず、通常の親子関係のヒントにもなりそうだ。

社長だった父親が、くも膜下出血で倒れ、会社の経営を引き継がざるを得なくなった鈴木隆志さん(45)の会社は航空貨物を扱う日本カーゴエキスプレス(東京都港区)。中学卒の父親がトラック1台で1968年に創業した。95年に父は57歳で他界。長男だった鈴木さんは銀行を退職して30代で社長に就いた。

    過労でダウン

    「当然、40人の社員からは大学を出た元銀行マンに何ができるか、という目で見られるのを覚悟した」。そこで朝は誰よりも7時に出社、夜は一番遅く午前0時過ぎに帰った。「2代目は若いのに頑張ってるな」。そんな声が伝わってきたころ、鈴木さんは過労でダウンした。 これが転機となった。頑張れるのはここまで。今後は「自分のカラー」を出そうと考えた。社長をしながら写真の専門学校に通いカメラの腕を磨いた。友人の少なかった父とは異なり仲間づくりにも励んだ。一つ一つが経営者としての信用につながった。

    違いを認めて背伸びせず

    オーナー企業の事業継承に詳しい、みずほ総合研究所の野田彰彦上席主任研究員によれば、日本には約260万社の法人企業があり、うち95%が同族会社。家業の世襲が広く行われている。だが親子関係が絡むだけに試行錯誤の連続だ。  そうした中で、遠回りのようでも、子供の選択を認め自由に過ごさせるなど親側の「さじ加減」が世襲の行方を左右する。

    口出しは悪影響

    みずほ総合研究所が2007年に実施したアンケート調査では、先代が後継者に口を出し過ぎると、企業業績に悪影響を与えるとの結果がある。親は「困ったときの相談役」的な役割をするのが好ましいと野田研究員。同時に子どもの側には@自分は親とは違うA背伸びをしても仕方がない---といった「達観が必要」と指摘する。「この部分だけは負けない」といった自信をどこかで持つのも大事。世襲にとどまらない親子関係の眼目といえそうだ。 家業という荷物を負いながら独自性を懸命にはぐくむ2代目。世襲の政治家はどうだろうか。(編集委員 須貝道雄)

2008年(平成20年)5月号
DC PHOTO (HONGKONG)

香港のカメラ雑誌
感受跳躍的楽趣(青山裕企特集)

フリーランスフォトグラファー 青山裕企氏の特集が、香港のカメラ雑誌に掲載!
当社の鈴木隆志の跳ぶ姿も、大きく取り上げられました。

オンタイムオフタイム(トラックナビゲーション)

2008年(平成20年)3月15日 空跳ぶサラリーマン(日本カーゴ) 

日本カーゴエキスプレス(鈴木隆志社長、東京都港区)の応接に飾られているのは、社長の肖像画ならぬ「ソラリーマン」の写真だ。ソラリーマンとは「空跳ぶサラリーマン」の愛称で、空中に浮きながら力強く足を進める鈴木社長の写真に誰もが目を奪われる。

撮影したのは写真家の青山裕企氏。2年前に「ソラリーマンプロジェクト」を立ち上げた。これまで、鈴木氏をはじめ80名以上のソラリーマンを撮影し、各メディアや写真展などで紹介している。

自身も写真を趣味とし、写真展を開くほどの腕前を持つ鈴木氏。実は青山氏とは写真の専門学校時代の同期生だった。写真の話をするうちに意気投合し、「今回のプロジェクトにも喜んで手を挙げた。」という。「正確には、経営者はサラリーマンではないのだが、今まで仕事をする人に思いを込めて形にする人はおらず、とてもおもしろい発想と感じた。」と振り返る。
社長が「跳ぶ」写真は、社員や取引先さらには採用活動で会社のイメージを伝えるのに役立っている。訪れた取引先の担当者との話題になるだけでも、「面白い会社」として前向きなイメージを持ってもらえる。
「物流会社は依然 『縁の下の力持ち』 のイメージが強く、オリジナリティーをだすことがタブーとされる傾向にある。もっと会社や社長のカラーを出してみても良いのではないか」
青山氏も「社会を支えるサラリーマンだが一般的にはあまりポジティブな印象を持たれておらず、スーパーマンの様に格好良く見せたいと思った。物流会社の皆さんにも是非跳んで欲しい」と話す。
8月には東京都が招致を進める2016年夏オリンピックに絡め、「ソラリンピック」をオープン。「予選」と称して全国を行脚し、ソラリーマンを撮影するとともに、個展も開かれる。もちろん鈴木社長の写真も展示作品の候補に挙がっているが、「新しい写真を撮り直したい」と青山氏。鈴木氏も「ぜひやりましょう」と前向きだ。
軽油価格高騰や人材不足など暗い話題が続く物流業界だが、景気付けに一度跳んでみてはどうだろうか。

200フォトグラファーズポートフォリオ

2007年(平成19年)9月25日 ソラリーマン(スズキタカシ) 

フリーランスフォトグラファー 青山裕企氏のソラリーマン(空跳ぶサラリーマン)プロジェクトにモデルとして協力。青山氏の代表作品として、当社の鈴木隆志の跳ぶ姿が各地、写真展にて公開されました。「200フォトグラファーズポートフォリオ」グラフィック社刊に1ページの大きさにて掲載されています。

青山裕企氏
プロフィール Webサイトhttp://yukiao.jp/
1978
新潟県生まれ
2007
「キヤノン写真新世紀」優秀賞(南條史生 選)
「トーキョーワンダーウォール公募2007」
「ワンダーシード2007」入選

日刊航空貿易

2006年(平成18年)9月21日 ■コックピット■
物流を切り口に挑戦  今月、新規事業も開始
日本カーゴエキスプレス 代表取締役社長  鈴木隆志氏

略歴(すずきたかし)1987年富士銀行(現・みずほ銀行)入社。1991年日本カーゴエキスプレス入社。商事部取締役航空部長、代表取締役社長に就任、現在に至る。東京都出身(43歳)。明治大学卒

    ●30以上のアルバイト

    学生時代には、社会経験を積むことを目的に30以上のさまざまなアルバイトを経験した。家庭教師だけで週7人を担当していた時期も。マーケティングのゼミでは「朝八時から夜八時まで勉強漬け。家でも資料作成に追われる生活でした」と語る。また一人旅が好きで、バックパッカ−として1ヵ月間、ギリシャ、トルコを放浪したこともあり、学生時代を満喫した。

    会社を引き継ぐ

    大手銀行に就職、営業や融資、外為とさまざまな担当を経験した。リクルート担当として後輩の採用にも携わるなど、充実した銀行員時代を過ごしていたが、日本カーゴエキスプレスの創業社長である父、鈴木唯男氏が1989年にくも膜下出血で倒れる。回復はしたものの、「そのときに自分自身が長男として会社を引き継ぐという意識に目覚めました」と振り返る。

    ●米パックメール社と提携

    1991年に銀行を退社し、日本カーゴエキスプレスに入社。銀行員の経験を生かし、総務部門を担当。以降、取締役航空部長、副社長として会社全体を見る立場に。95年、父の急逝により会社を引き継ぐこととなった。「物流を切り口にさまざまなビジネスに挑戦していくことが仕事上のモットー」と語る。今月中旬には米国のパックメール社と提携し、港区西新橋で物流のコンビニエンス事業もスタートした。

    ●多彩な趣味人

    趣味は油絵から旅行、オーディオ、車、音楽、ガーデニング、写真と多彩。特に写真は仕事の合間をぬって専門学校に通い、フォトマスター検定の1級も取得した。毎年、専門学校を通じて知り合った同級生と渋谷のギャラリーで写真展を開いている。今年も9月26日から10月1日にかけてグループ展を開催する。

    ●夢はさらに広がる

    「仕事も趣味も一生懸命に、そして家族や友人、仕事の仲間とハッピーに生きたい。周囲のみなさんと喜びを分かち合いたい」と話す。「難しいことかもしれませんが、そんなことを考えながら、日々頑張っています。そして、会社を卒業したら、フォトグラファーとして仕事が出来たら最高ですね」。夢はさらに広がる。

オンタイムオフタイム(トラックナビゲーション)

(上海の新風景を出品)

2006年(平成18年)9月15日
最先端の作品づくりに挑む
日本カーゴエキスプレス 鈴木 隆志 氏

日本カーゴエキスプレス(東京都港区)の鈴木隆志社長(42歳)は仲間8人とともに、9月26日−10月1日の6日間、ギャラリー LE DECO6(渋谷区)で写真展を開く。テーマは「3rd Lado.新世界−見たことのない風景」。愛用のデジタルカメラで、最先端の作品づくりに挑んでいる。
20年以上前からカメラそのものに興味があり、どちらかといえば、「収集家」として活動していた。ただファッション誌や写真誌を見るにつけ、「カメラを単に集めているだけ、あるいは、お祭りや花、山を写真に収めるだけでいいのだろうか」との疑問が、ふと頭をよぎった。「これではいけない」。3年前、土曜日と日曜日を利用して、写真専門学校に通い始める。
行くと、20代の女性が大半を占めていた。しかも、男性より女性のほうが、優れた感性を持っている。いろいろなスタジオでフォトグラフの技法を学び、フォトマスター検定1級に合格。専門学校での2年間は、「仲間とワイワイ、ガヤガヤするのが、とても楽しかった」という。
写真データ管理するだけでは物足りず、ブログを作成した。会社のホームページも鈴木氏自ら立ち上げただけに、手馴れたもの。会社、プライベートでの情報を発信しながら、新しいことへの感性を磨く。
実は、"モデル"の経験もある。松下電器産業のパソコンの広告だ。ビジネス雑誌「プレジデント」2001年6月18日号にも掲載されている。「新型パソコンはもっと、うまい使い方がある」と松下電器に注文を付けたところ、即、採用が決まったそうだ。取引先や銀行からは「今度は、何に出るのか」との問い合わせがあり、モデルとしてもチャンスをうかがう毎日だ。(発行:物流ニッポン社)

国際協力プラザ

2003年(平成15年)1月 vol.103号 
東京西ロータリークラブ 
カンボジアの小学校に校舎を寄贈

■米国人記者の話を契機に■

(当社社長右より2人目)

東京西ロータリークラブ(RC)が、カンボジアで小学校の校舎建設プロジェクトを始めたきっかけは、2000年のある日の例会にアメリカ人・ジャーナリスト・クリッシャー氏を招いたことだった。

クリッシャー氏は、地雷を回避しながら200校を目標に学校建設を進めている人物だ。卓話の中では、カンボジアには3000もの村に学校がなく、校合はあっても大変粗末で、雨季になると使用不能になってしまう現状などが報告された。 この話を聞いてからまもなく、RC会員の問で 「氏の活動を支援しよう」 という声が上がった。会合を通して多くの賛同を集めたことから話が進み、国際奉仕委員会との共同プロジェクトとして決まったのである。

■引き渡し式に文房具なども贈呈■

 資金は委員会の予算や同RC内での募金のほか、世界銀行の開発途上国向けプログラムを利用して集めた。また、クリッシャー氏からは、具体的な援助の進め方についてアドバイスを受けた。
  建設地は会員がカンボジアを視察した上で、プノンペンから西に約80kmに位置するコンポンスビュー地区に決定。2001年8月新校舎が完成した。2002年1月に行われた引き渡し式には、5人のクラブ代表が出席し、文房具、スポーツ用品、自転車などを子どもたちに手渡した。

■子どもたちに夢と希望と勇気を■

 この小学校では、以前は野外での授業が主で、雨季には授業がほとんどできない状態であった。しかし、新校舎の完成によって、4教室で授業を受けることができるようになり、生徒たちは午前・午後の2部交替で、約400名が学んでいる。 さらに、昨年はパソコンを贈呈。電気が通っていない地域のため、パソコン教育や夜間照明に必要な電源となるソーラーバッテリー設備を寄贈するなど、学校施設の充実を継続して支援している。

東京西RCでは、学校の使用状況や教師の待遇などを視察するため、昨年12月にも会員が同校を訪問。現地の要請に応えて、文房具などを追加支援することにしている。 「子どもたちに夢と希望と勇気を与えられれば、これ以上の喜びはありません」と、同RC会員で国際奉仕委員長であった岩本猛さんは話している。

私は"れっつらー"

「私は"れっつらー"」
2001年(平成13年)5月 
プレジデント、日経ビジネス掲載

当社の社長、鈴木隆志が、パナソニックのノートパソコンの雑誌広告に採用されました。これは、各分野でパナソニックのノートパソコン(れっつノート)を活用している人を取り上げるようです。当社の鈴木は、このパソコンのトラックボールというシステムの愛用者でしたので今回のお話をいただきました。 松下電器のPCのサイトでは「私はれっつらー の 2001年5月のページに掲載されています。 細川ふみえさんや、サムシングエルスの近くです(笑)

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