株式会社日本カーゴエキスプレス
JAPAN CARGO EXPRESS CO., LTD.
本社:
〒105-0003
東京都港区西新橋1-20-9 TSRビル4階
TEL:03-5251-1021(代表)
FAX:03-5251-1010

ごあいさつ

ご参考:当社の創業期について

JCEの創業からJALの代理店となるまで・・・

 当社の創業者、鈴木唯男は昭和12年に茨城県にて生まれました。中学を卒業後、高校に進学することなく就職をし、様々な仕事を経験をいたしました。自分のやりたい仕事を見つけるための努力であったと思います。
 そして、1964年に創立し、国内航空貨物の独立系企業として営業しております。他の企業様のご成長と同じように、1つ1つ貨物を増やし、お客様にお取引を積み重ねた歴史であると思っております。
 今日、当社は決して大きな企業となっておりません。
しかし、40年の長きにわたりお客様のご厚情をいただいた歴史は、胸を張れるものと思っております。


 1981年8月 MANTHLY JALCALGO (日本航空機関紙)に掲載されておりますので、ご紹介させていただきます。

 

■創設期■ 雨の日も風の日も集荷に走りました。

「私は昭和37年から39年まで東京空輸(株) に勤め、航空貨物業務に従事しましたが、独立を勧められ、(株)大運の下請けをたったひとりで始めました。
 昭和39年のことですが、その当時荷主といえば4軒くらい。1日4軒セールスして回るわけですが、その後10数軒と荷主の数も徐々にふえ、社員もだんだん多くなりました。(株)大運の軒を惜り、机1つ、車1台当てがってもらってのスタートでした。 365日1日も休まず、朝の5時から夜の10時まて働き通し。日曜日であろうが、子供が発熱しようが、集荷や配達にとび回っていました。
 昭和41年に菊岡現常務(現在相談役)のが、続いて鈴木現常務(現在退社)が各戦列に加わり、昭和39年から44年までにスタッフは10名ほどになりました。
 昭和44年7月に(株)大運が航空貨物業務から撤退し、私どもは下請けから外れることを余儀なくされ、結果的には自分達で国内航空貨物輸送の会社、株式会社日本力一ゴエキスプレスを発足させました。」

■成長期■我が社は航空貨物とともに伸びています。

 「設立資本125万円でスタートしましたが、昭和44年250万円、46年500万円、47年1,000万円、55年2,000万円と順次増資を重ねてきました。その間自動車運送取扱業登録(東京陸運局817号)、一般区域貨物自動車事業登録(東京陸運局77東陸自2貨第2125号)、軽車輔運送業神奈川陸事登録の許認可を取得し、事業拡張を図りました。西武航空と提携して、日本航空さんの航空貨物代理店としてJALCARGOとの結び付きを深めています。
 昭和48年に現本社のすく“裏に航空センターを開設。さらに3年後本社機構を現在地に移しました。52年に国際線貨物部門を設置。輸出入貨一物の取扱いをはじめました。業務拡大に伴い、社員教育の問題等の都合で海外部門を切り離し、特急ライン株式全社を昭和54年に設立し、現在は東急エアカーゴ(株)のサブ・工一ジェントとして航空及び海運の国際貨物業務を行っています。
 輸出入貨物業務の取扱いを始めてから生鮮食品輸送も手がけましたが、100トン、200トンと大きく商う“隣の芝生"に目が移り、水産加工販売会社〈五洋食品(株)〉をつくり、今ではそちらにカを入れています。」

■現況■ JALCARGOの配送網 は完全に網羅しています。

 「取扱件数は平均して3〜4トン。集配件数は1日1,200件(受託件数)。近場というか都心が集荷の重点ですが、広範囲に車が回る現在は府中など東京近郊も活動エリア。将来は大型車を1O台ほど増やす予定でいます。
 都心の受託貨物は企業の総務関係の書類が多く、製品の出荷とは縁が薄いですね。輸送コストが商品コストに反映されるというものではないだけに、どちらかといえばやり易い面があります。空輸は取扱件数の80%ほど。関西が多くなっています。
 北海道地区、関西地区、九州坤区、沖縄地区などは航空代理店と各々業務提携しております。」

■展望■堅実な基盤の上に立ち業績向上を図りたい。

 「私どもは自己資本だけでやってきましたので、資本蓄積に励み、堅実な運営を心がけています。おかげさまで日本航空貨物代理店として2年近く経験を積みましたので、若干設備投資して、新たな飛躍を図っています。
 秋葉原堂業所が手狭になったので八重州に進出し、横浜にも営業所を新設しました。このところ貨物の伸び脳みも見受けられるので、自重して少し控え目に事業拡張を計画してゆきたいと考えています。
 当社の江戸川営業所の近く(環状7号線の終点)に110坪と80坪の2ヵ所の土地を確保していますが、江戸川を渡った堀江に昭和58年を期して平和島の京浜ターミナルに匹敵する一大ターミナルが完成する予定なので完成の暁にはその遊休地を有効に利用できます。本格稼働すれば、羽田と成田の中心地点でもありますので、輸送関係については相当に機動力が持てると考えます。土地確保のために出費はしましたが、日本航空の総合代理店をめざして意気に燃えているところです。
 航空貨物業務で10年以上もやってきましたので、今後ともそれを主力にしていくつもりです。利用航空輸送事業認可取得という問題も残っていますが、実際には貨物を増やさなければなりません。いかにせんJALCARGOは2年の実績ですので、大阪の拠点づくりから九州、沖縄、北海道へと、1歩 1歩固めていく所存です。
 今後とも日本航空はじめ業界並びにお客さまのご指導とお力添えを賜りたいと願っています。」

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